2021-2022シーズン途中からトッテナムの監督に就任したアントニオ・コンテ。
彼がこれまで、どのような戦術で戦ってきたのかを振り返っていきます。
最初は、2011-2012シーズンから指揮をとったユベントス時代についてです。
コンテの「4-2-4」システムについて
コンテはセリエBのシエナの監督時代「4-2-4」を用いてセリアAに昇格。
その実績を買われて、2シーズン連続7位だったユベントスの監督に就任しました。
ちなみに、アンドレ・ビラス・ボアスも候補の一人だったみたいです。
コンテの「4-2-4」の特徴は、下記の3点です。
- ネガティブトランジションの時には、高い位置での即時奪回が基本。
- 自陣の低い所でパス交換を繰り返し、相手のプレスを誘う。また、両WGを高い位置におくことで、相手の両SBをピン止めする。これにより、相手チームを縦横に広げる。
- 攻撃は主に2TOP+2WGで完結させる。
シーズン開幕前、この「4-2-4」を使い続けると予想されていました。
しかし、開幕戦の途中から別のシステムが使われました。
これから、頑固だと思われていたコンテが、選手の特徴を把握して戦術を変更できる柔軟性をもっていたことが分かります。
「4-3-3」へ そのきっかけはビダル?
開幕戦のパルマ戦では、最初は予想通り「4-2-4」が使われていました。
ところが後半途中にビダルが入ることで、システムが「4-3-3」に変更。
このシーズン前に加入したビダルは、ボール奪取能力、プレッシング能力、アシスト力が高くて評価されていました。
コンテはビダルの能力を把握しており、最大限生かすために戦術を変更したのです。
開幕戦の後、数試合ビダルは途中出場となるが、4戦目にはスタメンになりました。
フォーメーションは「4-3-3」で、マルキージオとピルロと並ぶ形で試合に出場しました。
この「4-3-3」によって、下記のような変化がありました。
- マルキージオとビダルが前にいることで、ピルロが自由にパスを出しやすくなった。
- 前線の数が4→3に減ったが、マルキージオとビダルが果敢に前に出ることで、FWみたいな得点能力を発揮できるようになった。
- バランスのよい配置になることで、「4-2-4」よりも効果的にプレッシングをかけることが可能になった。
この「4-3-3」の特徴の一つが、マルキージオ、ビダル、ピルロの中盤の3人。
この3人がそれぞれ自分の能力を最大限出せるようになったことが、無敗優勝につながりました。
「3-5-2」へ移行
コンテが最初にシステムを変更したのは、ナポリ対策のためでした。(2011年の11月)
当時のナポリは両WBが高い位置にポジションをとって、5トップみたいになっていました。
これへの対策として、CB3枚で中央を固め、両サイドはWBがサポートするようにしていました。
その後、ローマ戦でも「3-5-2」を採用。
ローマは中盤の1枚がCBの間に落ちて、両SBが前にあがることで「3-2-5」のようなシステムになっていました。この時もコンテは5トップをケアするために、「3-5-2」を選択しました。
12-13シーズンは「3-5-2」が主軸になります。
この当時の「3-5-2」の特徴は下記の2点です。
- 3バック+ピルロのひし形でパス交換をして攻撃の準備をする。攻撃のスイッチは、前からおりてきたFWへの縦パス。そこから2トップ+両WGで一気にシュートまでもっていく。
- 両WGは2トップと同じ高さまであがって幅をとり、相手のディフェンスラインを横に広げる(主にアサモアとリヒトシュタイナーが担当)。
「3-5-2」の定着によりユベントスは2連覇を達成。
しかし、欧州の大会では中々結果を出すことができませんでした。
コンテの限界? 欧州大会では結果が出ない
ユベントスが国内で勝ち続けられた理由の1つが、相手が守備を重視して、主導権をユベントスに与えていたことでした。
しかし、欧州大会(特にCL)では相手が激しくプレッシャーをかけてきます。それによって、ボールと主導権を握られて守備に回ることが多くなり苦戦しました。
特に、その象徴的な試合がバイエルン戦です。
バイエルン戦はハイプレスによってピルロへのパスを断ち切られ、アラバとラームはユベントスの両WBにプレスをかけつづけました。
2トップもバイエルンのプレスに苦戦し、ボールをキープすることができず、チームを前に押し上げることができませんでした。
これによってユベントスはリズムをつくれず、試合全体を通してバイエルンペースになり、2試合合計0-4で敗戦。コンテのユベントスは欧州大会ではよい結果を残すことができませんでした。
その後、国内では3連覇するが、14-15のプレシーズンにコンテはユベントスを去ってしまいます。
しかし、低迷していたユベントスに勝者のメンタリティを植え付けたことは、コンテの成果の1つでした。
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